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執筆者の写真AYAKO ISHIKAWA

Ven te pa Madrid マドリードへ(後編)

更新日:2023年8月14日

前半からだいぶ時間が経ってしまいすみません!

これを機会に再度読んでいただけたら嬉しいです(笑)


できるヤツは #マドリードで一旗揚げる! そんな #KETAMA の歌を聴いて「私も!」とマドリードへ向かってしまった亜哉子・・・ 後編のお話です 👏👏👏





2000年を挟んでの4~5年間をマドリードで勉強しました。

フラメンコ界で伝説の魔性”Duende”(ドゥエンデ)が私にも降りてきた?お話をしたいと思います。



”Duende って何!? “

スペインで一般的にドゥエンデというと、家に憑いている”精霊/妖精”みたいなもののことを言います。

そうですね… あえて例えれば日本における座敷童のような存在です。つまり出会えると幸運が訪れるタイプの精霊です。


アンダルシアのフラメンコの人々にとっては、少し違った解釈があり、神秘的な芸能の魅力に出会った時、「そこにはドゥエンデが居たから」、という表現をします。


他のアート分野では、何と呼ばれているのかわかりませんが、神の仕業に違いないと言いたくなるほど優れている様子(パフォーマンス)の事で、そういうことが起きるのはフラメンコに限ったことではないと思います。


アンダルシア、グラナダ出身でフラメンコの愛好家だった詩人、戯曲家のフェデリコ・ガルシア・ロルカ(#ロルカ) が、神がかったパフォーマンスのことを「ドゥエンデが宿っている」と最初に表現したとロルカ研究者が講演で話していたのを聞いたことがあります。


フラメンコの歌詞の中にも、出てくるワードです。

フラメンコに限らず、幼少期からいろんな作品を観に劇場に行く機会に恵まれていた私は、演者の物凄いパフォーマンスは目にしたことがあっても、それが、ドゥエンデという妖精とか、魔性の仕業だとか考えたことはありませんでした。


実際、当時の私は、回りにいたアーティスト達は、本番になると実力を十二分に発揮し、練習の時以上のパフォーマンスをするのを、羨ましく見ていました。私は練習しても、練習しても、その8割くらいしか本番では実力が出せなかったからです。

それをよく、外国の人たちは肝が据わっていて本番に強い、日本人は本番に弱いなんてことを考え、民族性の問題と逃げていた私がいたのも今となっては恥ずかしいことです。


ついに私にもドゥエンデが!




さて、ドゥエンデは、空想の中の魔性だと思っていた私にも、ある日、ドゥエンデは降りてきました!!


ドゥエンデとは無縁と思っていた私ですが、ある劇場での公演の際、

突然それはやってきました


ドゥエンデは私に宿り、私の体と精神を自由にし、その力を貰った私のパフォーマンスが会場全体を一体にし、巻き込んで行く、そんな感覚を味わったのです!


会場の人々の感情が全て見えるように感じ、それは、私の感情と重なり、共有してお互いの心に作用しあう感じです。

15分近くあった踊りだと思いますが、普通はペース配分を気にしたりし頭で考えているのですが、その時だけはどうやって息をしていたのかさえわかりません。後半までの体力配分を考えていないにもかかわらず、まったく息があがらないのです


伝統のフラメンコの踊りは、後半に行けば行くほど盛り上がるので後半に体力が残っている状態に調整するのは大切なのですが、いつまでも踊れるんじゃないかと思えるほど、余力と力強さが最後まであったのを覚えています。


こう書いてしまうと、オカルトチックでキモいですよね。笑

 

体験して理解しましたが、ドゥエンデは魔性のようで、魔性ではないと思います。

以下、諸説あるかと思いますが、私の考えを書きます。


ドゥエンデがやってくる条件


ドゥエンデがやってくる条件みたいのがあると私は思っています。

まず


1. 何かのパフォーマンスをする時、そのパフォーマンスに対しての準備がしっかり出来ていること。


つまり、踊りだった場合、振付ばかりに気を取られたり、リズムを刻む足音を気にしたり、拍手があったかどうかとか、ペース配分を考えたりetc…

踊っている最中にこういう事が頭の中に出入りしている時はドゥデンデは来ません。

先ず、パフォーマンスをするその人自身が、全てから自由になる事が必要です。


次に


2. 共に舞台にいる人との調和が生まれること。


踊りの場合は、伴奏してくれている歌い手やギタリストとの間で、コミュニケーションが容易になり、三位一体となることです。舞台の上でそのような状態になると、今度は観客にも影響を与え始め、会場全体が同じ感情で揺さぶられる感じになります。つまり、パフォーマンスは、その場を共にする人すべてに影響を与え始めます。


ちなみに、この体験をしてから、色々な有名アーティストのドゥエンデ体験を聞いたり読んだりしましたが、味わった感覚はやはりとても似ているので、間違いなく、私にもやってきたと思っています。


今、書いたのは私が経験したことを基にしたものです。

もちろん、ドゥエンデが来る条件は、色々あります。例えば、声の調子が悪くて大舞台をキャンセルしようとしていた有名歌手が、ギタリストに励まされて舞台に出てみたら、今まで体験したことのないパフォーマンスが出来たとか。

つまり、体調や調子だけでなく、メンタル部分で今までになかったような不思議な集中力みたいなものもドゥエンデの到来に左右するのではないかと思われます。



色々条件があるとはいえ、私のドゥエンデ到来体験のきっかけは、ギタリストの一言であったことは間違いがありません。


この頃の私は、めっちゃ練習をしていました。身体能力の高い踊り手は毎日4時間も5時間も練習するようですが、私は体力的にそんなにできなかったとはいえ、自分の体力の限界まで頑張って練習していました。時には、体が痛くなっていることにも気がつず、練習していないときにあまりにも痛いので、医者に行ってみたら疲労骨折していたというエピソードもあります。


でも、辛くはなかったです。とにかく踊りたいという気持ちが勝っていました。


マドリード後期は、老舗タブラオ、コラール・デ・ラ・モレリアのレギュラーで踊っていた

マルハ・パラシオという先生に師事していました。

私は毎週、タブラオに通い、先生とブランカ・デル・レイ(コラール・デ・ラ・モレリア ブランカ・デル・レイ最後のショー当時65歳 初舞台は14歳だった) というベテランの踊り手さんを夢中で見に行きました。


ブランカさんの踊りは、もう誰にも真似の出来ないもので憧れでした。

マルハ先生は、いつも私にあう振付をさりげなくしてくださる方でした。私にしっくりくると先生も私自身も感じるものは、飾り気のない民が踊っていた時代に近い伝統的なフラメンコのスタイルでした。


マドリードで見たり聞いたりしたことの総まとめをするかのように、ソレア(#SOLEA)というフラメンコの母と呼ばれる基本であり深い曲が仕上がった頃、運よく劇場で踊る話を頂きました。

歌い手もギタリストも自分で選んで良かったので、自分の身丈に似合わないとは思いつつもブランカさんの伴奏をしている方達に共演をお願いしました。


「理想は高く!あたって砕けろ」の精神でダメ元でお願いしました。


そして、断られるだろうなと思っていたら、なんと承諾してもらったのです。


もちろん、マルハ先生のおかげもありますし、私が毎週タブラオに観に行っているという事もしっていて承諾してくれたのだそうです。


ギタリストはフェリペ・マジャ。歌い手は、セバスチャン・ロマンとエル・ポーラ。

その時代の京の都、マドリードのトップ陣です。胸が高鳴り、本番に向けて益々練習しました。

曲の構成にも関わって頂き、皆さんのご協力があって、ほんとうに良いソレアに仕上がったと思います。


あとは、私が本番で実力を出すのみ!!


久しぶりの劇場での公演でしたので、バケーションに合わせて母が日本から見に来てくれるということでした。

この公演の2年前に私は父を亡くし、「この踊りは父に贈るからね」と母に言いました。

ソレアという曲は、悲しみや痛みが詰まった曲です。


本番2週間前だったか、マルハ先生に練習のあとに呼ばれ、「本番の日はどうしても仕事があった行けなくてごめんなさい」と言われました。

その代わりに良かったらこれを受け取ってほしいと言われました。

袋の中には、一着の水玉の衣装とお守りのペンダントが入っていました。


いよいよ本番


さて、その日はやってきました。


私は、相変わらずの緊張しいは、直ってないし、折角の振付を間違えたくなかったのと、いつも、つまずいてしまうステップをずっと楽屋の外で練習していました。

本番10分前だというその瞬間になっても練習をやめませんでした。


5分前になっても楽屋に居ない私を、ギタリストのフェリペが探しに来て、私がカタカタやっている横にさりげなく座って調弦していましたが、調弦が終わると、


「あやこ、君はもう十分やることをやったよ、あとは、何をしなくちゃいけないか知ってる? ここで踊るんだよ」


と言って、自分の心臓をトントンと叩きました。

そして


「僕たちは君と一緒にいるから、大丈夫」


と言ってくれたのです。


ストン、という音が私の心の中でして私はカタカタ動くことをやめました。


5分間、何も考えなかったと思います。次に気が付いた時は、もう舞台の上で踊り始めるために椅子に座って居ました。


ドキドキしている自分を感じました。

椅子に座って曲が始まり、ゆっくり立ち上がり、ゆっくり歩いて、歩いて、、、、

そこまでは、まあ、いつもと同じように、落ち着いて~とか、いろいろな感情がでたりはいったりしていました。


そして、始まって3分くらいのところで、最初の【決め】があります。

その【決め】が終わった瞬間だったと思います。

そこから私は、無になり、自由になりました。


ギターの音と、歌と、拍手に包まれている自分しかいませんでした。



心に賞状をもらう


終わってから、ギタリストと歌い手が近づいて来て言いました。


「世の中には、優秀な人は沢山いる。上手く出来ることと、踊りが踊れるという意味は違うんだよ。君は、踊った。そして、もっと踊れるから頑張れ」 


フラメンコを始めて10年を過ぎた頃に始めて頂いたプロからの本当の意味の合格点、心に賞状を頂いた思い出いっぱいでした。


色々な思い、条件が重なり、ギタリストの方の一言がきっかけで、貴重なドゥエンデ体験をすることが出来ました。

フラメンコとは30年という付き合いになり、舞台に立った回数は数え切れませんが、自分が自由になり、納得した踊りを踊れたのはこれを含め、たったの3回です。


納得した踊りがイコール、完璧な踊り、という事でもありません。

演者全員、会場全体が心から自由になれるパフォーマンスということだと思います。


皆さんも今までの人生の中で、何が起きたかわからないけれどすご〜く上手く事が運んだ!とか素晴らしいパフォーマンスが出来た!という時間を味わったことがありませんか?


to be continued...




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